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インタビュー

岩間天嗣   (いわま たかつぐ)

「この作品、凄い気合い入れたんで、2時間でも3時間でも話しますよ!」。若松孝二監督最新作『11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』で、三島由紀夫を介錯する重要な役どころ・古賀浩靖を演じた、岩間天嗣。念願叶って憧れの若松組に仲間入りした彼に、映画のこと、撮影現場のこと、役者という仕事のことなど色々聞くと、演じることが楽しくて仕方がない! という想いが存分に伝わってきた。

撮影/吉田将史 文/須藤恵梨

プロフィール 岩間天嗣(いわま たかつぐ)


1983年8月20日生まれ、岐阜県出身。02年にドラマ『ごくせん』で俳優デビュー。最近の出演作に、ドラマ『ラストマネー~愛の値段~』、NHK大河ドラマ『平清盛』、映画『ビターコーヒーライフ』などがあり、現在は映画『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』が公開中。今後は映画『千年の愉楽』、ドラマ『新・警視庁捜査一課 9係』が控えている。

――『11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』(公開中)と『千年の愉楽』(今秋公開)。若松孝二監督作品への出演が続きますね。若松監督は『キャタピラー』などを撮っていて、過激そうなイメージがあるんですが、どういう方なんですか?

「過激…。まさにその通りですね。僕が監督を知ったきっかけは、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』なんです。で、そのドキュメンタリーを観たら、俳優に対して凄く怒っていて。普段怒られてなかったので、その映像を観た時に、高校時代に野球部で経験したスパルタな感じを思い出したんです。是非とも若松監督の作品に出たい! って思いました」


――新人のころも怒られたりはしなかったんですか?

「なかなかないですね。現場で何も出来なかったら、そのまま終わるだけ。そしてあとから後悔しちゃうんです。あの時もっとこうしておけばよかったって。でも若松監督だと、その場でやって違ったら、凄い怒られるんで(笑)」


――『~三島由紀夫と若者たち』の撮影が先ですよね。オーディションも独特の雰囲気だったんですか?

「はい。たいていのオーディションは、事前にこのセリフを覚えてきてほしいとか、何か資料を頂くんです。でも若松監督の場合は、見ただけでわかるらしく、芝居をしなくても雰囲気で決めちゃうという。ひとり1~2分ちょっとした会話をして終わりでした。お疲れさまって言われて」


――手ごたえを感じにくそうですね…。

「でも、終わったあとに居てもたってもいられず『どんな役でもやりますので、是非ともよろしくお願いします!』ってアピールしたんです。そうしたら監督が覚えてくれて、抜擢して頂けたんです。それと、まだ出られるとも決まっていないのに、オーディションの時に頭を丸めて行きました」


――凄い意気込みですね。

「俳優人生をかけて、自分の力を試しに行きましたから。どうしても監督と仕事がしたかったんです。作品から伝わる監督の想いだったり、ドキュメンタリーで拝見した、今どき珍しい監督の考え方にひかれました。監督は、役者の思った行動を撮るのが私の仕事だから、役者は自由に動いてくれ、っていう考えの方なんです。あと面白いのが、ほとんどリハーサルやテストがないんですよ」


――その変わり、何回も撮り直すとか?

「それもないですね。基本長回しで、僕らが自由に動いたものを、カメラマンさんが追いかけて撮ってくれるんです。なので僕らは、その1回きりに全神経を集中させる。思ったこと、やりながら感じたことを、その一発にぶつけて表現していかないと、監督のペースにはついていけないので。かなり感性が磨かれた気がします」


――では、まずは自分で考えていったプランを演じて、違ったら怒られて直す、ということですか?

「はい。よかった場合は『お~らい!』がもらえます(笑)。よく言われたのは、演じるのは僕らであって、監督がこうしろっていう必要はない。あとは、僕、岩間が演じる古賀さんを見せろ! と。お前が当時その場にいたら、どういう行動を取るんだ! って言われてました」


――撮影に入る前から、かなり役作りが必要そうですね。

「実際に起きた事件なので、まずは資料を集めて読むところから始めました。あとは俳優同士で自主的にミーティングをしました。劇中でともに行動を起こす5人で集まり、こういう時ってきっとこうしたよねって。みんなで当時の現場も見に行きましたし。そして、古賀はきっとこういう行動を取るだろうな、セリフはこういう風に言うんだろうなって、なんとなくの役作りをしていったんです。でも、初日の段階で、自分が考えていたプランで芝居をしたら、違ったんですけどね」


――怒られた…?

「もちろん。その時に、もっと現場で生まれるものを大切にしようって思いました。あまり形を決め過ぎてしまうのはやめようと」


――難しいですね。現場の空気を感じながら、また変えていくなんて。事前に考える作業は必要なんですもんね。

「はい。一度考えたものが、現場で全て流されるんです」


――ちなみに、監督の指摘はどれもなるほどなって思えることなんですか?

「全部そうですね。面白いと思ったのは、台本を信じるなっていう言葉です。そんなの聞いたことなくて。『お前達が演じるんだから、お前達の感性を大事にしろ』って、何回も言われました。なので、セリフは台本とかなり違いますね。台本そのままだと言わされた感があるので。監督からも『本当にお前の心の中から出てきた言葉はそれなのか?』と問いただされるんです。あとは、ちょっとしたエピソードがあって…。都内のある駅の隣、線路沿いで撮影していたんですが、その時の衣裳が(役としての)私服だったんですね。なので普通に着替えて現場に行ったら、監督が『おい、なんだその衣裳』と。僕らが『私服って言われてますよね』って返したら、『ここは違うだろ~! どこかでご飯を食べたあとだったり、ごく普通の日の帰り道だろ! 衣裳部が着ろって言ったら着るのか! お前らの意見を何でもっと通さないんだ』って怒られました。で、監督の罵声を浴びながら、路上で慌てて制服に着替えました(笑)」


――路上でですか!?

「はい。通行人にジロジロ見られながら(笑)。陰に隠れようとしたら、『お前ら有名じゃないだろ!』ってまた怒られたので(笑)。でも面白かったのが、僕ら俳優よりも監督が一番目立っちゃってたんです。大声で怒ってるから。あんな経験初めてでしたね」


――森田必勝(満島真之介)との、あの大事なシーンには、そんなエピソードがあったんですね(笑)。古賀にとっての一番の見せ場は、三島や森田を介錯するところでしょうか?

「そうですね。僕が刀を下すことによって、三島先生がいなくなってしまう。でもそれを先生は望んでいるという。複雑な感情が生まれて、何とも言えない感覚に陥りました。終わったあとも涙が止まらなかったです」


――三島役の井浦新さんとの共演はどうでしたか?

「新さんは若松監督と何回もお仕事をしているので、若松イズムというものを知っていらっしゃって。それを僕達に教えてくれるんです。細かいところでは、ご飯は自分達で用意していったほうがいいとか、小道具も自分達で持っていくようにとか。あとは、監督の気分で撮影シーンが変わるとか。お陰で、いつどんなシーンが来ても演じられるように、事前に台本を全て頭に入れて、どっからでもいいです! っていうくらいの気持ちを持って臨みました」


――小道具はどんなものを持っていったんですか?

「僕は、白い手袋や当時の下着などを用意しました。ひとつ、新さんを尊敬するエピソードがあるんですけど…。車中で5人が歌うシーンを撮る時に、新さんだけ自宅からふんどしを巻いて来たって聞いたんです。新さんの三島に対する役作りの重さに尊敬の念を抱きました。もし、三島を新さん以外の方が演じていたら、僕らはこのような芝居が出来ただろうかって。それくらい引っ張っていってもらいました」


――自分の意見も大事だし、みんなで話し合いも重ねる。みんなでひとつのものを作り上げている感じが強い作品ですね。

「はい。僕ひとりだとなかなか役に入り込むことが出来なかったと思います。今回の作品は、本当にみんなで意見を交換しながら、支え合いながら、作っていった作品ですね。だからこそ、終わると達成感があって。監督の現場は、後悔することがひとつもないですね。若松組で経験したことは、凄く大きいです」


――中でも一番の変化はなんですか?

「やっぱり、台本に捉われ過ぎず、自分の感性を出せるようになったことでしょうか。しかもテストをやりながら見つけるのではなくて、一発目からぱっと。それと、縮こまった芝居をしなくなり、自分をアピールすることも身に付けました。どんどん自分から攻めていかないと、いい芝居は出来ないし、仕事も取れないということがわかって。実は『千年の愉楽』は、僕が監督に直接『出たいです!』って直談判して、出演が決まったんです」


――ちなみに、学生運動や三島由紀夫には、元々興味ありましたか?

「この作品に出会うまでは、正直なかったです」


――共感するのが難しいところもありますよね。

「そうですね。でも、ひとつのことに対して、命をかけてやり通すという点は、僕が学生時代に甲子園に行きたい! と思って毎日野球を頑張っていたのと一緒かなって。(森田が学生長を務めた)楯の会のメンバーは、日本を変えたいとか、日本を思う気持ちが強いから、今では考えられない行動が出来たんだと思う。それくらいひとつの目標に対して突き進むことが出来た彼らの姿を見て、自分は今やりたいことを本当にやっているか? 命をかけてまでやりたいことはあるか? ということを考えて頂ければと思います。なので、特に若い方に観て頂きたいですね」


――岩間さんは今、役者の道を突き進んでいる訳ですが、志したきっかけはなんですか?

「最初はスカウトです。大学野球をするために、岐阜から東京に出て来たんですが、上京して一週間くらいでスカウトされて。その後、ドラマ『ごくせん』に出た時に、同世代の俳優である小栗(旬)さんや成宮(寛貴)さんなどが活躍する中、僕ら後ろの後ろくらいの生徒達は扱いが雑だったんですね。『君、ちょっと邪魔だからどいて』と言われたりして。メインどころの方々が監督と話している光景を見た時に、悔しいなって思ったんです。僕もあっち側に行きたいって。しかも色んな仕事を重ねていくうちに、演じることが段々好きになっていったんです。それで学校も辞めてしまいました」


――えぇっ!!

「俳優としてやって行きたいという真っ直ぐな線が一本通ったんです。やりたいこと見つけた! って。大学を辞める手続きが済んでから、親に電話しました。俺、俳優になるから。学校辞めたからって」


――先程、若松監督のお蔭でアピール力が身についたと言ってましたが、元々向上心は強いですよね。

「高校時代に、名将と言われる監督に鍛えられたからだと思います。野球が今の芸能活動にも役立ってますね」


――特技が殺陣ということですが、大河ドラマ『平清盛』にも源頼仲役で出演されてましたね。時代物がお好きなんですか?

「見ていてかっこいいですよね。武士道って言葉にもひかれます。僕、何となくやるのが嫌いなんで」


――体育会系で、武士道を志していて。男気がありますね。

「(笑)。ちなみに面白いのが、『~三島由紀夫と若者たち』では僕が介錯する側でしたが、大河では介錯されたんです。複雑な気持ちでした。俳優ならではの醍醐味ですね」


――『~三島由紀夫と若者たち』以外で、印象深い出演作はありますか?

「色々ありますが『仮面ライダー・ディケイド』に出られたのは、個人的に嬉しかったですね。昔から『仮面ライダー』に出たいってずっと言ってたら願いが叶ったんです。」


――今考えている目標はありますか?

「なんといっても若松監督の映画にはまた出たいです。今までくすぶっていた自分の役者力を、若松監督のお陰で引き出して頂けました。感謝してもしきれないです。縁あって出演出来る映画があればどんどんやっていきたいです。あと、実はドラマにレギュラー出演をしたことがないので、一度やってみたいです。まだ発展途上ですが、僕という人間を通して、みんなに感動を与えることが出来たらいいなって。最終的な大きな目標はそこですね。あと、役者を一生続けていくことも目標です。どんなに仕事がなくても、俺は役者なんだっていう気持ちでいたい。一度きりの人生だから後悔はしたくないし、やりたいことをやって生きていきたいです」


『11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』

企画・製作・監督/若松孝二
出演/井浦新 満島真之介 岩間天嗣 永岡佑 鈴之助 寺島しのぶ
配給/若松プロダクション/スコーレ株式会社

第65回カンヌ国際映画祭・ある視点部門の正式招待作品となった注目作。舞台は学生運動全盛期。数々の名作を輩出し、人気絶頂期であった文豪・三島由紀夫は、民族派の若者達を組織化して「楯の会」を結成した。やがて、防衛庁内で衝撃的な自決を遂げた、あの1970年11月25日を迎える。彼らが信じていたものとは? 三島と若者達の魂の軌跡を、『キャタピラー』の若松孝二監督が追う。

現在全国上映中
(C)2011 若松プロダクション
http://www.wakamatsukoji.org/11.25/

2024年03月
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