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インタビュー

中山麻聖   (なかやま ませい)

新潟県燕市。04年に新潟県を中心に襲った「新潟・福島豪雨」で母親を亡くし、その後、同じ映画専門学校に通う友人も川の転落事故で亡くしてしまい、何かを諦めたような日々を過ごしている田上陽介。自分が今何をすべきなのか、模索し苦悩する青年を中山麻聖が演じる。スタッフ、キャストをほぼ全て新潟にゆかりのある人物で固めた本作で、慣れない新潟の空気感に戸惑いもあった。しかし中山は、この作品が「役者としての財産になった」と語る。『アノソラノアオ』との出会い、そしてナシモトタオ監督との出会いが、またひとつ、役者として彼を成長させたのである。

撮影/吉田将史 文/池上愛

プロフィール 中山麻聖(なかやま ませい)


1988年12月25日生まれ、東京都出身。父は俳優の三田村邦彦、母は女優の中山麻理。『アノソラノアオ』が三田村邦彦との親子初共演として話題となる。2004年に映画『機関車先生』でデビューを果たす。主な出演作に『妄想少女オタク系』(07)、『篤姫』(08)、『憐 Ren』(08)『ごくせん THE MOVIE』(09)、『江~姫たちの戦国~』(11)など。
公式ブログ http://ameblo.jp/blooming-masei/

――映画のオファーがあった時のお話を聞かせて下さい。

「“新潟のご当地映画を作りたい”ということで、父(三田村邦彦)が新潟出身ということもあり、親子初共演という形で出て頂けないか、という話がありました。ただ話を聞いていくと、スタッフもキャストもほぼ新潟出身者で固めると。となると、僕は東京育ちなんですけど……これって大丈夫? という不安が若干ありました(笑)」


――何が一番不安でしたか?

「新潟に住んでいるという役なので、その空気感だったり地元ならではの言動などが、果たして上手く出せるのかということです。なので、クランクインする前にナシモトタオ監督と父の3人で新潟県燕市を訪れて、新潟の空気に馴染むことから始めました」


――三田村さんから、新潟の話は聞きましたか?

「父の実家は燕市じゃなくて新発田(しばた)市なんですが、たまに行ったりしていたので、新潟という括りではわかっていたつもりだったんですが・・・燕市となるとまた違うんですよね。今回驚いたのは、新潟は隣町でも環境や言葉が違うことがあるということです。同じ単語でもイントネーションが違って、燕市と隣町の三条市では意味が通じないことがあるんですよ。この映画では新人オーディションで選ばれた、納谷美咲さんという地元出身の子が登場しているので、彼女に色々な方言を教わったんですが、それをロケ先で新潟出身のスタッフに使ったりすると、“なんですか? それ”と言われてしまって(笑)。それにこの映画は新潟県燕市が舞台ですが、出演者の中には、燕市以外の出身の方もいらっしゃいます。なので『その単語だと燕市では使わないので・・・』みたいなスタッフとのやり取りもあったりして(笑)」


――新潟出身の方でもそんなことが起きるなんて、新潟出身じゃない中山さんは、もっと大変ですね。

「そうなんです。だからこれは僕には無理だと悟りました(笑)。ただ地元の若い子達は、ほとんど標準語で喋るみたいです。お年寄りの方と喋る時に出るくらいで」


――本編でも、そんなに訛りはありませんでしたね。

「そうですね。父親もそんなに訛りはないです。そう考えると方言や歴史みたいなものは、次第に薄れつつあるのかなとも感じました」


――燕市はどんな町ですか?

「新潟の人は、ズカズカとした物言いをしない気がします。なんていうんだろう・・・はっきり言えないというか、言わないというか・・・」


――口数が少ないんですね。

「そうですね。あとは、スタッフさんのやり取りを見てても面白いことがあります。説明がほとんどなく会話が進んでいくんです。例えば、『ん』と言ったら『え? なんですか?』ってなるじゃないですか。でも『いやだから、ん』『だからなんですか!』『ああ、ごめんごめん。ペットボトル取って』みたいな(笑)。だったら最初から言って下さいよと(笑)。でもこれが新潟同士だとツーカーな部分があるのか、会話として成立してるんですよねぇ。不思議です」


――台本を読んだ時の、中山さんが演じる田上陽介という青年の印象を教えて下さい。

「僕とほぼ真逆の性格だなと思いました。僕は、何事にも動かなきゃ気が済まない性格で。どちらかといえば体育会系だし、とにかく動く、物事をはっきり言うタイプです。でも陽介は映画を撮る専門学生で、何か情熱を持っている訳でもないし、大人しい性格だし。そんな陽介をどう演じようかなと考えた時に、僕らしさというものを全部取っ払って、芯だけの状態になろうと。そこに色んな要素を埋めていけばいいのかなと思いました。その要素というのは、新潟・福島豪雨によって母親を亡くしたという過去と、同じ学校に通う凪音(八神蓮)が、撮影中に川に転落して死んでしまうという体験。そのふたつの種を芯の中に埋めていって、更に陽介の家族や友達との関係性を持たせたら、自然と陽介像が生まれて来るかなと思ったんです。ところが、監督からは『とにかく何もするな』と言われました。『全てを取っ払った状態から、何も考えずにただそこに居て』と。初顔合わせの時にそう言われたので、凄く戸惑いました」


――監督がそう仰った意図はなんだったのですか?

「監督がこの映画を作る上で、一番意識していたことは、“説明をしない”ということでした。母親を亡くし、友人も死んでしまった二重の苦しみを持った陽介というのを僕が作ってしまうと、無意識に悲しい表情だったりをしてしまうじゃないですか。でもそれが監督にとっては、“説明”になってしまうんです。何も考えずニュートラルな気持ちでいるだけで、人によっては悲しそうな表情に見えるかもしれない。そういう部分を監督は出したかったのだと思います」


――台本を読んで、陽介の人となりを知っている側としては、ニュートラルでいるほうが難しい気がします。

「凄く難しいです。だから無意識に出ちゃうんですよ。そんな時は監督に『今何考えてた? 考えるのは止めて』と見抜かれていました。あと監督はリハーサルもしない方です。よりリアルな芝居を出すために、ほぼ一発本番。僕はそんな経験がなかったので、クランクインして現場に入って、いきなり本番が始まったので凄く慌てました(笑)。どのきっかけで入ればいいのか、どのタイミングでセリフを言えばいいのか全然わからなくて。最初は凄く苦労しました。だけど・・・・・・言葉は悪いかもしれませんが、誰かに『この芝居、お前が考えてやったの?』と言われても『監督に言われたからやったんだ!』と(笑)。それくらい無責任にやってやろうと思うようにしましたね。結果、それが監督の臨むものだったし、次第に監督との意思疎通も取れて、本番も1発OKにどんどんなるようになっていきました」


――監督の

「説明しない」という意図は、凄く感じました。映画を観ていて、カット割もないですし、説明描写みたいなものもほとんどありませんでしたよね。なんだかドキュメンタリー映画を観ているような気にもなって・・・。

「まさにその通りだと思います。この映画は半分ドキュメンタリーに近い。カット数も少ないし、セリフを言っている人にカメラが寄ったりすることすらないですから。あとは、あまり喋らない新潟の人の雰囲気を出すために、間の使い方も凄く重視されました。最初は、“この1シーンをこれだけの間で、しかも1カットで撮れるの?”という不安もあったんですよ。“なんでこのセリフはすぐ言わないの?”“沈黙長すぎないか?”とか(笑)。だけど、これが新潟らしい部分なんですよね。映像を通しで観た時に、あぁこれが監督は撮りたかったんだなぁという、意図が伝わってきました」


――余計な説明が排除されていたぶん、台本はどんな風に書いてあったのかなと気になったのですが。

「僕、映画を観て凄くわかりやすいなぁ! と驚いたんです。というのも、映画より台本のほうが100倍はわからなかったので(笑)。映画の冒頭は、僕がカメラのレンズを覗いているシーンから始まって、河原で映画撮影をしている様子のシーンに続くじゃないですか。でも台本だと河原のシーンが先なんです。台本と照らし合わせてみると、セリフは一部しか合ってないようなものだし、シーンの順番もあべこべですよ。見事に化けた! っていう感じ(笑)。でもほんとに凄いです。台本を読んでわからなかったことが、映像を観ると、こういうことだったんだっていう風に理解出来るんですよね。もちろん初見でこの映画をご覧になるお客さんは、わからない部分がたくさんあると思うんですが、それはそれ。わからないことは別にわからないままでもいいと思います。実際に裏設定はあるけれど、映画では説明されていないこともあるし、バッサリカットされてるシーンもあるんですよ」


――どんなシーンになりますか?

「僕と原幹恵さん演じる姉の尚は、異父兄弟だという設定です。それがわかったところで、この映画の主軸として必要な情報ではないし、もし知っていたとすれば、劇中に登場する8ミリフィルムに映っていた男性は、前のお父さんなんだなということがわかったり。説明を省くことによって、面白味が出て来るんですね。あとは、もともと台本にはなかった部分なんですが、姉の婚約者である清水(永井大)と15分くらいずっと話してるシーンがあるんですよね」


――え? 15分も?

「はい。陽介が家族とギクシャクした関係になってマンガ喫茶で過ごすシーンがあって。そんな陽介を清水は車で迎えに来るんです。台本には、清水が陽介に『最近調子はどうなの?』って話しかけるところから始まるんですが、監督は『どうでもいい話をしてくれない?』と言ってくる訳ですよ。もう僕も永井さんも目が点(笑)。『そのくだりを使うか使わないかは見てから決めるけど、まずはくだらない話から始めて、“調子はどう?”と言うタイミングは、永井さんが決めて下さい』と。それで本番が始まったんですが・・・、まだセリフがあるならいいんですけど、アドリブで話せってどうすればいいんだと(苦笑)。映画の中では、陽介にとって清水は姉の婚約者っていうだけで、ほとんど関わりがないんです。だから陽介にとっては気まずい。ますます清水と話すことなんてないよと考え込んでしまったんですが・・・その微妙な空気や会話のない間が、陽介と清水の関係性としてリアルだったんですね。そうしていると、永井さん、すなわち清水から『小学生の時さぁ…』って、ほんとに関係ないことを話し始めて(笑)。実にどうでもいい話をダラダラと交わしながら、清水が『・・・で、最近調子はどうなの?』と切り出してくるという。もちろんその15分くらいの会話はバッサリ使われていないんですが、あの会話があったから、陽介も“あぁ、僕のこと心配して迎えに来てくれたんだな”って感じたと思うんです。だから監督は、どうでもいい話をしてくれと言ったんだと、その時気づきました。実はこの撮影は、僕と永井さんがお会いして1日しか経っていない時に撮影したので、陽介と清水の関係性をつかむことが出来ないままシーンに臨みました。ふたりの関係性に気づくためには、話が出来なかったぶん、あの15分間が非常に濃密でした」


――今回の作品に携わったことは、中山さんにとっては“演じる”ということについて、とても考えさせられる作品になりましたね。

「本当にそうですね。まだ俳優として活動する前は、役者とは芝居するものだと思っていました。そしてこの業界に入ってから、役者とは“自分を持ちながらも芝居をする人”と“自分を全て捨てて役になりきる人”の2種類がいるんだと知りました。でもこの映画では、“芝居をしない”ということを学んだ。今までは役をきっちりつくってから作品に臨むことしかしてこなかったんですが、今回はそれを全て排除する作業だったので、僕にとってこの作品は大きな財産になりました。もしまた、“役作りをしない”という役を演じることになったら、この経験が凄く生かせると思います。むしろこの作品とタオ監督に出会っていなかったら、絶対大変だと思う(笑)。それくらい、今回の映画は勉強させられることが多い作品でした」


――3.11から1年が経ちました。本作では、2004年に起こった

「新潟・福島豪雨」が描かれていますが、3.11に照らし合わせて観る方も多いと思いますが、どんな部分を観てほしいですか?

「この映画では新潟で起こった大豪雨を元にしていて、実際に当時流れたニュース映像をシーンに使っていたりするので、凄くリアリティーがある映像になっていると思います。実際に被害に会われた方々は、当時のことを思い出す方もいらっしゃるかもしれません。陽介は天災によって家族を亡くし、その悲しさをまだ払拭出来ずにいます。だけど、この世に生き残ったからこそ、出来ることがあると思う。もちろん死んだ母親のことを思うことも大事だけど、自分がやりたいこと、叶えたいことを諦めることはない。それが陽介にとっては映画を作ることでした。陽介の姿を観て、“夢を持つこと”“前を見ること”の後押しを出来ればいいなと思っています」


『アノソラノアオ』

監督・脚本/ナシモトタオ
出演/中山麻聖 原幹恵 納谷美咲(地元オーディションキャスト) 相沢まき 八神蓮 片岡信和 三上真史 村松利史 斉藤陽一郎 小林へろ 戸中井三太 渡洋史 永井大 水野久美 三田村邦彦 ほか
配給/アイエス・フィールド

幼いころ、水害で母を亡くした田上陽介(中山麻聖)。彼は、父親(三田村邦彦)に反対されながらも、地元の映画専門学校に通っている。陽介は、学校で知り合った凪音(八神蓮)や、高校の同級生達とSF映画の撮影を始める。しかし、撮影の最中に、監督である凪音が事故により命を落としてしまう。撮影は一時中断。撮影再開に向けて動き出そうとするも、陽介は映画に出て来る「鉄魔人」の幻影に悩まされるようになる。そして、母親を亡くした「新潟・福島豪雨」の出来事を思い出してしまうのだ・・・・・・。

3月31日よりユーロスペース他にて全国順次ロードショー
Ⓒ2012「アノソラノアオ」製作委員会 http://anosoranoao.com/

2021年09月
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