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インタビュー

矢野聖人   (やの まさと)

1978年に初演され、95年に武田真治、96年、02年、08年に藤原竜也を主演に上演され大きな話題となった舞台『身毒丸』。3年ぶりに復活するこの舞台の主演に抜擢されたのが、新人・矢野聖人だ。ドラマや映画に出演する機会はあったものの、オーディション時の演技経験は全くのゼロ。しかし演出家の蜷川幸雄は、彼を「叙情的なゆらめきがある」と賞賛した。彼に潜む魅力とはなんなのか――、その答えを探った。

撮影/柳沼涼子 文/池上愛

プロフィール 矢野聖人(やの まさと)


1991年12月16日生まれ、東京都出身。読者モデル時代に声をかけられ、ホリプロ50周年事業『身毒丸』オーディションでグランプリを受賞。その他の出演作には、ドラマ『GOLD』(10年)、映画『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(11年)、『天国からのエール』(2011年10月1日公開)がある。またフォトスタイルブック(DVD付)を宝島社より10月に発売予定。

――只今、絶賛稽古中(取材が行なわれたのは6月下旬)だとお伺いしましたが。

「本格的な稽古はこれからなんですけど、僕にとって初めての舞台なので、今は蜷川さんにマンツーマンで指導して頂いています」


――蜷川さんとの稽古はいかがですか?

「最初は凄いきつかったです。体力やメンタルを相当消耗しますから。でもそれは最初からわかっていたことなので、“もうダメだ~!”という程ではないですね。最初は蜷川さんに対しても凄く緊張したんですが、最近は徐々にコミュニケーションも取れるようになったし、電話で相談もしたりしますし、だいぶ慣れてきました。ただ本番で、たくさんのお客さんの前で演じるとなると、随分変わってくると思いますけど……。僕、凄く緊張するタイプなんですよ」


――こうやって話しているだけでは、そんな感じはしませんけど。

「ほんとですか? オーディションもひどかったですよ。その時の映像をあとで見る機会があったんですが、出番を待っている時の自分の格好がひどくて(笑)。もう緊張のオーラが漂っていました」


――そもそも『身毒丸』のオーディションを受けることになった理由は?

「僕は読者モデルをやっていたんですけど、その雑誌を事務所の方が見て“受けてみませんか?”と、声をかけて下さったのがきっかけです。受かる自信なんて全くなかったですけど、せっかく声をかけて下さったんだから、受けてみる価値はあるかなと思って」


――『身毒丸』という作品はご存知でした?

「実は全然知らなかったんです。正直に話すと、蜷川さんのことも知識ゼロでした。『身毒丸』のオーディションを受ける時に、藤原竜也さんが、この舞台でデビューしたことも知りました。でも、そういう知識を付けたくないという気持ちがあって。この舞台のことも蜷川さんのことも、自分は全然知らないのに、周りの意見によって流されてしまうのが嫌だったんですよ」


――オーディションでは、どのようなことをしたんですか?

「書類選考のあとに一次審査がありました。一次は人数が多いので、ひとりあたりの持ち時間は30秒。そこで簡単な自己紹介をやりました。その次の段階からは、芝居のオーディションです」


――オーディションも初めての経験な訳ですよね?

「そうなんです。正直凄く嫌でした。自分は全然演技が出来ないのに、大勢の前で色々やらなければいけなくて。恥ずかしい気持ちやら、試されている気持ちやら……。ほとんど内容は覚えてないんですけど、手汗がひどかったことは覚えています。手に持っていた台本がしわくちゃでしたから(笑)」


――台本を読んだ感想はいかがでしたか?

「オーディションで読んだ時は、何もわかっていませんでしたね。読解能力がゼロに等しかったので、自分のセリフを言うのに精一杯で、ストーリーなんて全く理解出来てなかった。台本に“せんさく”という文字が書いてあったんですが、最初“詮索”という意味だと思って読んでいたんですけど、よく考えたら義理の母の連れ子の名前だ! って(笑)。そんなのもわからない状態でオーディションやってたんだなぁ、と今になって驚いています(笑)」


――でも8523人の頂点に立った訳ですから、きっと何かしら“持ってる”方なのだと思います。蜷川さんは、身毒丸に矢野さんを選んだ理由はなんと仰っていますか?

「“叙情的な揺らめきがある”と仰って下さいました。あとは……、ほんとに何もしらないところがよかったみたいです。身毒丸の無垢な少年みたいな部分が、上手く出せるんじゃないかなって。そう仰っていました。演技も下手くそで何も知らなくて…、ちょっとか弱そう。そんなところがよかったのかなぁ」


――役を勝ち取って、周りからの反響は何かありましたか?

「昔に比べて、親が僕に興味を持つようになりましたね(笑)。大学3年生の兄がいるんですが、兄が凄く真面目な一方で、僕はかなり自由気ままに過ごして来たんです。ほんと性格も歩んでる道も違うし……。そんな僕ですけど、こうやって舞台にも出させてもらえることになって、ドラマや映画にも出て。少しでも親が喜んでくれたらなと思います。やっぱり親が嬉しそうにしている姿見ると、こっちも嬉しくなるんですよね。10月1日から公開の映画『天国からのエール』では、うちの親、この映画の予告を観ただけで泣いてたみたいなんです(笑)。30秒で泣くっていう……でも嬉しかったですね」


――役者に興味はあったんですか?

「読者モデルやっていた頃から、芸能界には興味がありました。だけど芝居をしたいとは思っていなくて」


――芝居の楽しさや面白さは見つかった?

「作品をやった数だけ、違う人間を演じられるじゃないですか。それが僕にとっては、凄く楽しくて。俳優をやる中で、一番面白い部分だと思います。色んなセリフを言うことが出来るし、全然自分と違うキャラクターにもなれる。今まで知らないようなことを覚える機会にもなるので、自分自身も成長出来て、とても楽しいですね」


――自分の演じる役については、どんなことを考えますか?

「自分が演じる役について考えるというよりも、その役の周りについて考えることが多いです。例えば、この人は、どんな家族がいるんだろう。この人の友達はきっとこういう人かなとか。この人の置かれている環境がこうだから、僕の演じるキャラクターはこういう人間形成なんだろうって。結局自分の演じる役というのは、もうひとりの僕だと思うんです。全然違うキャラクターだったとしても、どこかしら自分とリンクしている部分があると思うから。といっても…、まだ俳優として1年くらいしか経っていないので、ただがむしゃらに突っ走ってるだけなんですけど」


――身毒丸を演じる上での役作りは、どんなことをしましたか?

「すね毛とわき毛を剃りました。ポスター撮りのためにやったんですが、すね毛はズボンを履いているので剃った意味はありませんね(笑)。だけど、見た目だけでなく内面も少し変化した気がします」


――稽古では、どんな指導を受けてるんですか?

「もうバシバシしごかれています。“お前の考えは軽すぎる”ってよく注意されていますよ。例えば、“大きな木”というセリフがあるとするじゃないですか。その大きな木を僕がイメージしても、自分では大きいってイメージしていても、中くらいの大きさでしかないんです。そんな時、蜷川さんは窓を開けて“アレが大きな木だ”って実際の木を見せてくれます。それで僕の中にしっかりと大きな木がイメージされて、そのあとに“大きな木”というセリフを言うと、全然違うんです。そういう指摘はしょっちゅうありますね。気持ちが乗っかっていないから、セリフが届かないみたいで…。自分がまだまだだなって思って落ち込むこともありますけど、自分が生きて来た19年間が、いかに浅かったかというのを思い知らされたというか……。なんというか、僕の人生で培ったものを、身毒丸に活かせることが出来ないなと。僕の人生、適当にやりすぎたかな~って、それで落ち込んだりしました」


――でも、自分を振り返るきっかけになる、いい機会じゃないですか。なかなかこの若さで体験出来るものではないですよ。

「そうですね。自分を見つめる時間が多くなりました。自分の可能性はなんだろう? 自分に出来ることはなんだろうって」


――芸能活動に限らず?

「はい。震災が起きた時も、何か自分の出来ることをやりたいって真っ先に思いました。人として変わったというか……、適当じゃなくなった。それが一番大きな変化です」


――いい経験ですね。

「でも色々悩むことも多いので、相談出来る相手が欲しいです。まだ俳優業をやり始めたばかりなので、そこまで役者友達も多くないし。ひとりで溜めこむ部分があるので」


――共演の大竹しのぶさんは、全てを包み込んでくれそうな方のような気がします。

「初めて大竹さんの舞台を観た時は衝撃でした。今まではバラエティー番組に出てる大竹さんの印象しかなくて、全然人が違ったのでびっくりしました。初めて観た作品は『ヘンリー6世』です。『スウィーニートッド』も観ました。ほんとに凄い方だなって。そんな人方と一緒にやって、ついていけるのかって考えたりもするんですけど…、迷惑だけはかけないようにしたいです。でも絶対かけちゃうだろうなぁ(苦笑)」


――失敗は、初めてやる人の特権ですよ。

「そうですね。僕は蜷川さん、大竹さんに身を委ねるだけです!」


――舞台に向けて、期待することはなんですか?

「無事に全公演やりきりたいです。ほんとにそれだけを考えて臨みたい。体力面の心配はしてませんが、何が起こるかわからないですしね。セリフが飛んだり、動きを間違えたり……ほんとはダメなんですけど、とにかく全公演全力で乗りきるという気持ちを持って頑張るんで、みなさん温かい目で見守って下さいって感じです(笑)」


――学生時代とか人前に立つ経験はありました?

「学芸会に出たことはありますね。あとは高校の時ダンス部で、体育館のステージでみんなの前で踊ったことはあるんですけど。でも見られてるっていうことが苦手なんです」


――自分が舞台に立っている姿は、まだ想像出来ないですか?

「出来ないというか、したくないというか(笑)。でも、この舞台が決まってから色んな舞台を観ているんですが、公演が近づくにつれて、観に行く舞台全てが、自分がステージに立っているような感覚に思えてきて。鳥肌が立ったり、妙に感情的になったりします」


――楽しみにしています。最後に意気込みを教えて下さい。

「僕は『身毒丸』がやはりスタートだと思っています。『身毒丸』を無事成功させて、ここから多くの作品に出演出来たら嬉しいですね」


『身毒丸』

作:寺山修司/岸田理生
演出:蜷川幸雄
出演:大竹しのぶ 矢野聖人 蘭 妖子 石井愃一 六平直政 ほか
公演日&会場:2011年8月26日(金)~9月6日(火) 【天王洲 銀河劇場(東京都)】
2011年9月10日(土)~9月12日(月)【シアター・ドラマシティ (大阪府)】
2011年9月17日(土)~9月18日(日)【愛知県芸術劇場大ホール (愛知県)】

身毒丸は、幼い頃に死んだ母の姿を求めて、町をさまよっていた。彼の父親は、母を売る店で新しい「母」を買うこと。その店で身毒丸は、かつて女芸人だったという撫子という女と目が合う。その瞬間、父親は彼女を「母」に選び、撫子を買うことにした。一緒に住むことになった撫子と身毒丸だが、彼女を母と認められない身毒丸は、次第に家族から孤立するようになった。そして撫子も、自分の居場所を見つけることが出来ず追いつめられていた。そんな撫子は、ある日身毒丸に折檻してしまう。身毒丸は思わず家を飛び出し、地下へ通じる奇妙な「穴」を持つ仮面売りの男に出会う。亡き母親を求めて、身毒丸は死人が住むと言われている地下世界へ降りて行く。そこで彼が見たものとは――?

2022年04月
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