W~ダブル~ - 人とは違う、それでもいい -

酒井高徳

「身体能力を褒められるのが嫌だったんです。技術が足りなかったから、そんなに褒めるなら、この身体能力と技術力を交換してくれと思ってました」
ドイツ人の母を持つ酒井高徳は、身体能力に優れ、中学生になると日本代表候補に選ばれるほどの注目を集めていた。
けれど、彼は自身の最大の武器よりも、ウィークポイントから目をそらすことができない少年だった……。

アルビレックス新潟でのプロデビュー、2010年ワールドカップ南アフリカ大会にはバックアップメンバーとして帯同。時期をおかずに代表入りを果たすと、ドイツ、ブンデスリーガへ移籍を果たし、古豪ハンブルガーSVのキャプテンを務めていた。

ブンデスリーガでは、酒井の身体能力が際立つわけではない。しかし、ここでは、日本人特有のカバーリング能力、なにごとにも真摯に向き合い、手を抜かない姿勢、そのリーダーシップが高く評価されている。

ドイツ人の血によって身につけた身体能力は日本での武器となった。
日本人の血によって育まれた高い精神力がドイツでの武器になる。

日本人、ドイツ人、クラブと日本代表、栄光と葛藤、さまざまなWを得て、強くなった男。

■幼少期のトラウマ スパイクを買わず、もらい続けた過去
■アルビレックス新潟「背番号24」の意味 
■中村俊輔に教わったプロフェッショナル
■19歳、2日で決めたブンデスリーガ移籍 
■ドイツの長谷部誠に見た憧れと可能性 
■日本代表を退こうと思った本当の理由

日本人初のブンデスリーガ・キャプテンになった酒井高徳が、衝撃の苦悩と原点を綴る


(第1章)ダブル
どうして僕だけ、みんなと違うの?
目立ちたくなかった
のびきったカエルとサッカー
初めての勇気
「県選抜」セレクション不合格のわけ
土手から聞こえた父親の怒号
恥ずかしさを覚えるほどのレベルの差
合格通知が用意する次のステップ
コンプレックスから解放してくれる場所
友人にスパイクのお古をもらい続けた

(第2章)視界
質問魔と化し、真似をし続ける
サイドバック転向の理由
見て学んで、実践して、失敗して、聞いて
「お前、もうプロ気取りか?」
「プロ契約」までの道のり
背番号24に込められた想い
先発デビュー「15戦未勝利」の疫病神
驚きの代表招集と電話
参加させてもらったミーティング
サポートメンバーも日本代表である
世界への視界が開けた日、2日後の出国

(第3章)ドイツ
見た目ではない。プレーがすべて
ブンデスデビュー。見せられた新潟時代の映像
オリンピックとA代表
ドイツでの壁。ぶつかりながらの模索
岡崎慎司という存在
降格争いと移籍
サッカーからの逃亡と反動
諦めたらそこですべて終わる
キャプテン就任
もうひとつの変化、ボランチ
落ちないクラブでのプレッシャー
忘れられない瞬間、2部降格

(第4章)代表
「代表を引退」とはいっていない
酒井宏樹と蹴った2018年へのキックオフ
脱・長友佑都と内田篤人
決まるか決まらないか、そこで人生が変わる
ポジション争い
酒井宏樹という存在感
ヨーロッパ遠征、追加招集の意味
ハリル監督との間になにがあったのか
正しいと思った監督交代
最後のワールドカップ
ベルギー戦、アップに呼ばれた
日本代表に酒井高徳がいる必要はないと僕は考えている

(第5章)人とは違う、それでもいい
いつだって「今」よりも上を探す
誰もが正しいと思うことだけが唯一の道ではない
強烈な武器がないことで得られる「武器」
チームに安定感をもたらす存在に
ドイツの圧倒的な若い指導者たち
「活躍」の意味
目立たなくても欠かせないプレイヤーになる
戦力であるために「いい返す」必要性
ドイツ的であることと、それだけにならないこと
監督と距離を置き、選手とは縮める
心地いい環境は、外からどう見えるかに注意する
「忠誠心」は僕を生かす
日本サッカーを強くしたい

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定価 : 1,296 円+税
[ISBN] 978-4-8470-9786-7
[発売日] 2019-03-30 

サッカー , 電子書籍

information
PROFILE
酒井 高徳(さかい ごうとく)

1991年3月14日生まれ。
日本人の父とドイツ人の母の間にアメリカで誕生も、新潟県三条市で育つ。
2009年 アルビレックス新潟ユースからトップチームに加入。
2012年1月、ドイツ・ブンデスリーガのシュトゥットガルトに移籍。
2015年7月、ハンブルガーSVへと移籍。古豪の名門クラブでキャプテンに指名される。
ブンデスリーガ初の日本人キャプテン。
日本代表としては、U-15から各年代の代表に選ばれ続けてきた。
2010年1月、日本代表に初めて選ばれる。
同年のワールドカップ 南アフリカ大会には、サポートメンバーとして帯同。
2012年ロンドンオリンピックに出場する。
2014年ワールドカップ ブラジル大会、2018年ワールドカップ ロシア大会と2大会連続でメンバー入り。
ワールドカップ初出場を飾ったロシア大会後、代表を退くことを表明した。
日本代表Aマッチ通算42試合出場。

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